たった一度の大きな幸せか、毎日の小さな幸せか

こんにちは!

Connect.代表の渡邊優です。

今日は2020年3月11日。

まだまだコロナウイルスの話題で持ち切りですね。

私自身は諸々自分で調べてコロナはほとんど気にしていません。ですが、世の中の多くの人が不安感に振り回されているのを見て、聞いて、少し悲しくなります。

そんな中、Twitterでコンビニで働く外国人店員さんと日本人のお客さんとのやりとりが話題になっていました。外国人店員さんがおつりを渡す際、お客さんの手に触れてしまったところ、そのお客さんが激怒。するとその外国人店員さんが「仕方ない!ワタシ仕事!文句言うアナタ!セブンイレブンもう来ない!ローソン行け!ありがとう!バーイ!」と言い返して、スカッとしたという投稿でした。

私もスカッとしました。

この話を読んで、私が時々抱く疑問を思い出しました。

それは、コロナうんぬんではなく、なぜ日本人はこんなにも日々を幸せに楽しく生きようとする人が少ないのか?いうこと。

これは結論を言うと学校教育の影響が大きいと思いますが、今日は違う観点からお話ししようと思います。

この疑問は私が洋楽や映画、海外の番組、海外経験を通して外国人の人達の考え方に触れてきたから思うのかもしれません。

私は13歳の時、洋楽をきっかけに外国人歌手の歌うある歌の歌詞に衝撃を受けました。それは当時好きだったアシュリーシンプソンのセカンドアルバムの中の曲「I AM ME(私は私)」で、「私は私。なんで私があなたのために変わらなきゃいけないの?」という内容のものでした。その表現が当時の私には斬新ですごく気に入って、座右の銘にしていました(笑)家庭科の授業でバッグにプリントする絵にもその言葉を添える、変わった中学生でした(^^;

海外の番組も見るようになって、外国人の人達が話す会話にどんどん惹かれていきました。家族間や親しい仲間同士の愛情や信頼のコミュニケーションにも惹かれていきました。

20歳の時、スペインに留学しました。スペイン語の勉強をしに行きましたが、一番衝撃的だったのはスペイン人の働かなさ具合(笑)そして働いてる間も自然体な人ばかり。「お客様は神様だ」なんて言ったら「それはどの宗教ですか?」って言われちゃいそうなくらいでした。お客様だろうが店員さんだろうが、みんな人間。大人になっても、高齢者になっても人生を楽しんでいる人が多いなあという印象を受けました。

それを見て、「日本人は働きすぎ。しかも一生懸命働いている割にお金持ちは少ない。朝の通勤電車はみんな顔が死んでる。幸せそうな人も少ない。何かがおかしい」と思いました。スペイン人は毎日を楽しく生きるのがうまいです。その時、「真面目過ぎることに意味はない。むしろ人生が楽しくなくなってしまうことが多々ある。」と思ったことから私は「一生スペイン人のように陽気に生きる!」と決めました。

そこからコミュニケーションの取り方を変えました。自分が言いたいことは自分の意見としてハッキリ伝える。でも相手の意見も相手の意見として聞く。毎日を楽しもうとする。毎日ユーモアを添える。物事をポジティブに捉える。これを意識して生活しただけで、人生がガラッと変わりました。いや、この表現だと語弊があります。「変化に気づかないくらいジワジワと徐々に変わっていって、ある時ガラッと変わっていることに気づいた」の方がしっくりくる表現です。

私はたった一度の大きな幸せよりも、毎日の小さな幸せを感じて生きていたいと思っています。そしてその中で所々大きな幸せもあると思っています。

たとえたった一度の大きな幸せが、毎日の小さな幸せを望む人がたまに手に入れられる大きな幸せよりも大きかったとしても、私は毎日を幸せに生きていたいです。

みなさんはどうでしょう?

私には大きな目標もあります。目標が大きければ大きいほど、必要な努力の大きさも比例することはわかっています。その努力をする覚悟もあります。実際に目標に向かって動いています。でも、それと毎日楽しく幸せを感じて生きることは両立できるはずです。自分の納得がいかない範囲で毎日毎日しんどい顔をして、しんどい気持ちになって生きなければいけないのならば、それは何かがおかしいです。

大変なことももちろんあります。でも、ずっとじゃないです。目標のために、辛くても頑張らければいけない時は頑張ります。でも、その辛さを他人にぶつけるのは全く別問題。

こういうことがわからない時は私も「今すごく大変なんだから察してくれてもいいのに」と、不機嫌な態度を取ってしまったことがあります。でも、私は大切なことを人から学び、考え方が変わってからは、私はなんてお門違いな考え方をしていたんだろうと思いました。そこから「毎日陽気に生きる」を心掛けています。

陽気に生きるには、2つ方法があると思います。

1つ目は「学んで不安の素を解消する」です。不安になるのはわからないからです。人間の脳は、知らないこと、未経験のことを「不安」や「恐怖」として認識します。人間の防衛本能です。このことも知っているのと知らないのとでは考え方が変わってきます。知識を増やすことは不安を解消する学びですし、行動していろんな経験をすることもいろんな立場の人から学ぶことができます。

もう1つは「ただただ上機嫌に生きる」です。細かいことを気にし過ぎず、他者に寛容に生きる笑顔で生きるユーモアを添える愛嬌と思いやりを持って人と接する。これは元々得意な人と苦手な人に分かれるでしょう。子どもでもできることなのになぜか簡単ではない人が多いです。むしろ大人の方が難しいのではないでしょうか?

私は2つとも取り入れています。特にいろんな立場の人と関わる仕事をするのが一番の学びになると思っています。人はどうしても主観的になってしまいます。いろんな立場の人達と働くと、自分目線だけではうまくいきません。他者目線で考えることで視野が広がります。見える範囲が広がるので、今まで気づけなかったことに気づくことができます。そうすると、他者理解ができるようになり、他者とのコミュニケーションに思いやりが増えます。

なぜ「仕事」がいいのか。それは「責任」の有無です。遊びに責任は発生しません。でも、仕事には発生します。いろんな立場の人達へ責任を負う経験をすると、関わっている人の分だけその人たちのことを考えて動かないといけなくなります。その想像力は日常生活でも「他者への配慮」として活きてきます。

こうして陽気に生きている人が、コロナウイルスが心配な時期にコンビニでおつりをもらう時に手が触れただけで激怒するでしょうか?

今、コロナに体が感染している人よりも、思考が感染してしまっている人が多いのではないでしょうか?不安感、恐怖感を消すのは中々難しいことかもしれません。それでも日々幸せに楽しく陽気に生きようとするかしないかは自分次第です。陽気に生きると決めて努力する人としない人では毎日の幸福度が違ってくると思います。真面目過ぎることに意味はありません。学び、前向きに、陽気に、今を楽しく生きる。そんな人が増えるといいなと思ったTwitterの投稿でした。

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